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脳神経外科の超急性期クリニックで勤務後介護を行う事業団に転職

転職時のご自分の簡単なプロフィールと転職内容

愛媛県在住の看護師経験7年目を経過しています。年齢は20代後半です。もともと、准看護学校と、専門課程の第二看護学科を卒業し、国家資格取得後、地元の公立病院で勤務していました。

結婚を機に退職し、結婚により整形外科病院に勤務しました。そこを二年経験し、体調上の問題から退職することとなりました。そして、体調が回復し再就職を決意し就職活動を開始しました。

超急性期の脳神経外科クリニックに再就職していたのですが、人間関係の問題から退職し、居住地域の広報に記載してあった介護系の事業団への就職をしました。

転職前と転職後

転職前
転職前は、脳神経外科の超急性期クリニックで勤務していました。治療内容としては、脳梗塞急性期、T-PA治療や脳出血やくも膜下出血、脳腫瘍などの手術を行えるクリニックです。認可を受けて通常クリニックでは19床の制限がありますが、最大26のベッドを稼働できるクリニックでした。給与は、基本給196000円で、夜勤一回10000円で、月に7回程度夜勤がありました。

勤務は、二交代制で、基本19床を看護師二人で夜勤をしていました。日勤は、業務分担看護を行い大体5名程度が勤務していました。日勤帯9:00から18:00、夜勤帯17:00から翌日10:00までで、電子カルテ導入し、ほぼ電子カルテでの看護記録、指示受けを行っていました。

看護計画や記録の為に残業をする事がありますが、月に10時間程度になっています。委員会活動がありますが、時間内に行い、特に病棟会議等はありません。人手不足は顕著で、人の入れ替わりが激しい職場でした。


転職後
転職後は、介護を行う事業団に就職し、定時出勤・定時退社、ほぼ残業はありません。ですが、給与は安く、基本給16万円、夜勤なし、残業なし、8:30から17:30の勤務時間でした。手取りにして毎月13万円程度の収入と、ボーナス3.95カ月分に給与は激減しました。

私が配属されたのは、訪問入浴介護の看護師勤務でした。力仕事が多く、肉体疲労が重なる仕事でした。有給休暇はありますし、月曜日から金曜日までの勤務で土日は休みです。



転職前の仕事はどんなでしたか?

転職前は、地域の脳神経疾患の急性期受け入れ病院で、脳神経救急輪番を担当するクリニックでした。

特に多い患者さんは、脳梗塞、脳出血、くも膜下出血で、急性硬膜下血腫、慢性硬膜下血腫に対する手術や看護、急性期から回復期までを担当し、回復期リハビリテーション病院への転院までをケアするクリニックでした。

特別な認可を受け、クリニックの19症という垣根を越え、最大26床の受け入れが可能になっている地域に貢献する脳神経外科クリニックです。
医師は、二人で、看護師は17名程度、リハビリに力を注ぎ、入院直後からリハビリテーションを開始し、廃用症候群予防と、褥創対策、機能回復に熱心なクリニックです。

患者さんの多くは回復しリハビリテーション病院に行けますが、重症で余命や厳しい宣告をされた患者さんでも、後遺症を残しながら命は繋がるケースを経験できる医療水準の高いと感じられるクリニックです。

脳神経外科と言う事で、医療処置は多く、ドレーン管理、人工呼吸器管理、術後ケア、スキンケア、褥創ケアや、骨髄穿刺や髄注等の介助、中心静脈栄養などの処置も多く経験できました。

そして、日常生活支援も多く、食事介助、入浴や清拭介助、経験栄養のケア、口腔ケア、衣類交換や環境調整、異動の介助など、看護師として必要な技術の多くを経験できました。

特に印象的だったのが、意識レベルがクリアで脳梗塞により嚥下機能のみを障害された患者さんに対する経食リハビリの凄さでした。

看護師もリハビリテーションスタッフと一緒にケアに当たりますが、人の口から摂取できることの喜びと、その生命や精神に与える影響に強く感動を感じられ遣り甲斐を感じることができる職場でした。

看護方式は、機能別看護や業務分担制で、毎日出勤するとし腸がその人の担当を決め、その役割を遂行する仕事内容でした。なので、看護スタッフ全員が必要な医療や看護ケアを習得しなければなりません。

手術は、緊急であれば即刻、予定手術であれば夕方から明け方に行われ勤務調整されていました。緊急時は、病棟スタッフが手術室に入る為、人数が少なく大変です。超過勤務も多く、電子カルテの記載をする為に残業が毎日二時間以上ありました。

夜勤は2人体制で、20時までは看護学校に通う学生さんがアルバイトで手伝ってくれますが、夜間は救急対応も入院患者さんの対応も二人で行います。の間に手術が行われている事もあり、人手不足と仕事のハードさはいな寝ない様子でした。



転職理由・動機は?

遣り甲斐があり、達成感ある仕事ですが、なにせ此処の人間関係に問題がありました。

私が入ってからも次々とスタッフが辞め、新しい人が入り、二年の勤務経験の中で何人入れ替わりがあったのかが分かりません。それは、看護師長のワンマン体質がもたらしたことでした。看護方式は、業務分担や機能別看護でしたが、その方針はブレがあり、今日は「こうする」「こう変えよう」とコロコロ変わります。

患者さんやご家族に対しても高圧的、もちろんスタッフに対しては「クズ」「カス」同然の接し方でした。気分が良い時には猫のように手繰り寄ってきますが、退院調整が上手くいかない、ベッド回転が悪い、勤務調整がつかない、バイトの学生さんの働きやスタッフの動きが悪いなど、自分の思い通りにならないと地団太を踏んだり、記録中の看護スタッフの椅子を蹴ったりすさまじい気性でした。

院長に訴えたこともありましたが、院長すら怖くて意見できないと「そうだね」と言う程度で諦めていました。看護知識や医療知識に飛んだ看護師長だったのですが、人間性だけは悲しいものでした。

精神的に不安定であると、ナースコールを押した患者さんに対しても、冷たく「後で行くから」「待ってください」と強い口調で言い、すぐに対応しようとすると「待つように言ったでしょ!!」と対応しようとするスタッフを止めることがあったり、家族や患者さんとトラブルになることがありました。

入職してすぐに異様な光景や雰囲気に気付きましたが、此処での看護や医療は高く、経験したいことが多かった為、すぐに辞めることは留まりました。しかし、二年が経過した頃、ようやく医療や看護のイロハを経験し、なんとなく自分で考えた看護を実践出来るようになりました。そして、やっぱりそんな光景で看護をしたくなかった為、転職して環境を変えたいと思いました。



転職活動の様子を教えて下さい

転職は、居住地域の広報や広告、ハローワークや人材バンク登録で行う事としました。そして、ずっと育った町なので、医療環境や病院等の情報を多く持っていました。勤めたい職場、止めておいた方が良い職場、その病院や概要を知っている分、勤めたいと感じられり病院がもうないことに気付いたのです。

保守的で、昔の医療や看護を改善しようと前向きな医療機関はそう多くは無く、田舎なので、慣れ合いや改革志向はありません。排他的で、新人看護師や新入職員を好意的に思う地域がらではないので、看護師を続けようかと言う悩みを発生させるようになりました。

ハローワークの情報には期待が出来ず、たまたま市の広報を見ていました。すると、看護系の事業団体の看護師募集を見たのです。そこには、億の情報が記載されていませんでしたが、すぐにインターネットを開き、その事業団の概要やスタッフ募集欄を閲覧しました。そして、近隣の市の似た事業団で姉が働いていたので、相談することにしました。

姉は、介護士として働いていましたが、看護師として働こうと思っている事を伝えると、長く続けるつもりであれば、しっかりした事業団なので良いかもしれないと助言を貰えました。そして、締め切りが3日後だったので、すぐに問い合わせを行い就職試験を受けることにしました。

就職試験は、二部構成で、筆記試験と書類選考があり、一次審査を通過すると、面接と適性検査、健康診査が行われます。筆記試験は、公務員のする一般基礎や一般常識、看護師なので看護基礎や専門分野の内容でした。面接試験は、3人の面接官との面談で、これまでの経歴や自分が経験したいこと等を聞かれるよくある高圧的ではない、受容的な面接方式でした。

就職試験後の発表は、10日程度かかり、二月の試験であった為、就職は4月採用、採用の連絡が来ると、パートとして4月まで働いてくれないかとの打診がありました。そこも、人員不足で大変という事も伝えられました。

転職後の様子を教えて下さい

人員不足と言うのも、急な職員の怪我により欠員があるとのことでした。私が配属されたのは、訪問入浴介護です。三人のペアで利用者のお宅を訪問し、入浴ケアを行います。なので、一人でも欠けると訪問できる車の台数が減ってしまうので急募と言う事でした。

一日7件の人のお宅を訪問し、浴槽を組み立て、利用者の方を入浴させ、医師の指示書に基づく医療処置や看護を行います。だいたい1時間のケアを行いますが、人工呼吸器、膀胱留置カテーテル、胃ろうや褥創を抱える方が多く、介護士二人と看護師一人の三人で訪問するため、看護師の知識と技術、判断力をかなり要する現場でした。

浴槽や入浴物品も重たく、患者さんも高齢や障害、ターミナル期の方が多く、寝たきり、重症度の高い人が多い現状があります。そんな人の入浴、更衣、シーツ交換、爪切り、整容ケアが主でした。そして、記録や訪問看護師さんや主治医への報告や伝達事項、ケアマネージャーとのやり取りを行います。入浴計画書の作成や変更、介護報酬の算定や決済などをケアマネジャーに提出すること等の事務作業も多くありました。

時間は、8:30から17:30で、実際のケア時間は9:00から17:00くらいで終わることが多い感じでした。しかし、遠方のお宅訪問では18:30を越えることもあり、そんな時にはサービス安行になりました。自己研さんやスキルアップに関わるセミナー参加などを多く勧める事業体でもあり、休日や祝日を使ってセミナー等に行くよう進められ、その費用の多くは自己負担な事もありました。



転職して良かったと思うことは?

日本人は、やはり入浴が好きな様子で、入浴ケアを行って怒ったり、嫌な顔をする人はそう多くはありません。

「気持ちよかったよ」「ありがとう」「また来てね」と喜びの声を多く聞くことで、遣り甲斐や達成感を感じられることがありました。

また、医療や病院で経験していたことが通用しない在宅の環境でのケアは、知らないこと、経験したことが無い内容が多く、刺激とスキルアップに繋がりました。自費でも研修が多く、易い月給で大変なこともありましたが、自分を高めるには良い出費だったとも思います。

また、きつい看護師長とおさらばし、精神的にも満足いく仕事を行えた事も良かった事です。介護に精通したスタッフは、心がきれいで優しさを持っています。

仕事は肉体労働で大変ですが、力を合わせて利用者の方を癒そう、喜ばせようと季節の行事を取り入れた入浴方法等を起案し、実践出来ることも遣り甲斐と楽しみに繋がっていました。感謝されることは、自己満足かもしれませんが、「もっと自分を磨こう」「もっと安楽に出来るようになりたい」と自己を高めるモチベーション維持にもつながり、転職は私を大きく変えました。



逆に転職して悪かったと思うこと

転職して悪かった事は無いのですが、肉体労働や身体的疲弊があったことは否めません。

重たい浴槽をもって、マンションの四階に上がった時には、夏の暑い日、台風の日、冬の寒い日に身体に堪えたことは事実です。スタッフ自体も年齢を理由に退職したり、異動を申し出る人もいました。

後は、給与面です。看護師をしていた時には、月収26万円~27万円程度の収入がありました。しかし、今回の転職により月収は10万円程度減少し、手取りで13万円から14万円、それがこの肉体労働に適合しているかと言われたら、本当に安月給だったと思います。

この仕事で規則正しい生活ができ、精神的満足が得られた分、その収入減少があったのかと思っても、なかなか受け入れにくい給与です。転職前の職場に戻りたいと思ったことはありませんが、医療と介護の待遇差を思い知らされた職場でした。



最後に今回の転職を振り返ってみてどうでしたか?

これから転職される方へ、医療や介護など看護師を求める職場は多くあります。自分がどのような職場で、どのような仕事をしたいのかをしっかりと考えて仕事先を選択する必要があります。仕事内容と、給与や待遇がどうなのかを見きわめて、それでもかまわないと感じられる職場に就職しましょう。

若ければできる仕事でも、年齢を重ねるとどんなに素晴らしい職場でも勤めにくくなることがあります。職場自体は良かったのですが、やはり給与面で腑に落ちないことがあった為、そのことが言えます。看護師としての資格があるのに、それ相応の給与が無ければ、なんとなく満たされない気持ちになったのも事実です。

職場環境、仕事内容、給与や休暇、待遇のチェックはとても大切です。そして、やはり事業団や公務員系の職場は、福利厚生が良く働きやすい感じに受けました。